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2009年09月12日

電気復旧から1年−耕英と電気①


市道耕英開拓線沿いに新たに敷設された電力線

昨年の今日9月12日は、岩手・宮城内陸地震以来、停電が続いていた栗原市耕英地区の電気供給が、約3カ月ぶりに復旧した日です。その当日の新聞記事にあった、友達のお父さんがしみじみとした表情で、復旧した照明を見つめている写真がとても印象的でした。

地震前、耕英地区へ供給される電力線、電話線ともに県道築館栗駒公園線沿いに敷設されていました。地震で道路が寸断されたと同時に、それらも寸断されてしまいました。
8月に市道馬場駒の湯線の仮設道路が完成したのに伴い、東北電力が新たに233本の電柱を立てる工事を急ピッチで行い、復旧に至りました。

それから、一年。
「耕英と電気」について、少し書いてみたいと思います。


さて、“耕英開拓の歴史書”とも呼ばれる「風雪とともに」によれば、耕英地区へ電気が導入されたのは、入植から約20年後の1966年(昭和41年)11月19日の事です。
当日は、宮城県知事をはじめ関係機関、栗駒町長ほか議員一同も出席し、地区をあげて「耕英開拓地電気導入事業落成通電式」が盛大に行われました。

実は電気導入へ至るまでには、関係者の大変な苦労がありました。

当時、開拓行政を担っていた宮城県開拓課では、広大な開拓地に住宅が点在し、ふもとからも離れている耕英地区への電力供給には莫大な費用が掛かると見込んでいました。そこで、既に試験導入済みだった「風力」による発電を計画していました。
風力発電の場合、住宅一戸につき発電機一台を設置するだけでよいので、送電設備は必要なく、導入費用も少ないと考えられていたからです。

「風力発電」にするか「東北電力による供給」にするか…導入方式を巡って、度重なる議論が続けられました。

つづく…

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Posted by 金澤大輔 at 11:11Comments(2)岩手・宮城内陸地震
プロフィール
金澤大輔
金澤大輔
東京在住のしがない会社員。
小学校時代を耕英の山の中で過ごしました。
実家は2008年の岩手・宮城内陸地震により半壊し、避難指示で仮設住宅に避難していましたが、現在は、おかげ様で元の家に戻る事ができました。ありがとうございます。

この栗おやじというキャラクターを通じて、「岩手・宮城内陸地震があった事」「復興に向けて頑張っているおやじ(人)達がいる事」を伝えていきたいと思います。

Daisuke Kanazawa

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