2009年01月22日

「風雪とともに 開拓地耕英」を観る(第3回)

前回の続きです。
ちなみに紺色の部分は僕の勝手な補足です。


『目を付けたのが県北の栗駒である。この地は開拓の余地が十分あると考えたからである。』
なぜか、この映像では触れられていませんが、いきなり栗駒にやってきてしまいます。
まず、八島氏と宮城県庁経済課主事の菅原兵市氏との職務から始まる運命的な出会いがありました。二人は意気投合し満州開拓に意欲を燃やします。兵市氏は県庁を依願退職。自ら団長となり、満州開拓に乗り出します。しかし多くの団員とともに満州で帰らぬ人に…


『駒の湯温泉の経営者・菅原兵三郎氏に声を掛けたところ、快く引き受けてくれた。駒の湯温泉の発展を期待する彼にとっても、好都合だったに違いない。』
焼香に訪れた八島氏は兵市氏の父・兵三郎氏と帰国した団員の受け入れについて相談します。兵三郎氏も「満州で死んだせがれや孫たちのためにも、また駒の湯の発展のためにもぜひ実現してください」と八島氏にお願いしたそうです。

『昭和22年3月31日、駒の湯温泉のいくつかの部屋を無償で借り受け、28名を送り込んだ。この時点で入植許可はまだ下りていなかった。』
この時点では駒の湯の一部を除き、ブナの大木に覆われた原生林で、訪れる者といえば夏山登山者と湯治客のみでした。
要するに駒の湯以外に何もない状態だったので、駒の湯に泊まりながら開拓していった。それが駒の湯が「耕英の原点」と言われる所以です。


『八島氏は土地の開放と入植許可を佐々木家寿治県知事に迫ったが、計画した土地は国有地として、青森営林局古川営林署が所轄していたため、土地に開放に予想外の困難を要した。』
『営林署では現地の生活は不可能との見解を崩さず、その時点で製炭材として十ヘクタールの払い下げに応じたに過ぎなかった。』

営林署も「あんな所マジで開拓するの!?」とか思っていたんでしょうか。

『それでも八島氏は土地の解放運動を強力に推し進めた。その結果、翌年の23年4月1日、やっとのことで正式に開拓地として許可が下りた。新しい開拓地が誕生したのである。』

『満州耕野開拓団より、さらに秀でた開拓地にしようとの願いから、秀を「英」とし、耕野の一字「耕」を取って、この開拓地を「耕英(こうえい)」と名付け、耕英開拓農業共同組合を発足させた。』
2008年7月9日付の読売新聞の記事によると“一説に耕英は、「耕す英雄」の意。”と紹介されています。これはどうかな…
『しかし、開拓地として許可された喜びは束の間で、厳しい自然条件と食料難や道が不便なため、この地を離れる者が続出した。』
次回に続く…

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プロフィール
金澤大輔
金澤大輔
東京在住のしがない会社員。
小学校時代を耕英の山の中で過ごしました。
実家は2008年の岩手・宮城内陸地震により半壊し、避難指示で仮設住宅に避難していましたが、現在は、おかげ様で元の家に戻る事ができました。ありがとうございます。

この栗おやじというキャラクターを通じて、「岩手・宮城内陸地震があった事」「復興に向けて頑張っているおやじ(人)達がいる事」を伝えていきたいと思います。

Daisuke Kanazawa

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