「風雪とともに 開拓地耕英」を観る(第1回)

金澤大輔

2009年01月19日 22:38



「風雪とともに 開拓地耕英(1993年度制作)」は栗駒山麓にある耕英の開拓の歴史と産業、厳しい大自然に挑んできた人々の暮らしにスポットをあてた映像作品で、郷土学習に使われる視覚教材のようです。

耕英地区には、1985年に栗駒小学校耕英分校の父母教師会が発行した、同名の開拓史があります。
今回、この「風雪とともに 開拓地耕英」を初めて観ましたが、開拓史「風雪とともに」をベースに、わかりやすく簡潔にまとめられた良い作品だと思いました。

耕英地区は戦後の開拓によって、誕生しました。
何もないブナの原生林から、人が暮らす現在のような姿になるまでは、厳しい自然条件と戦いながら開拓した、人々の叡智と努力がありました。
そうして築き上げてきた土地や産業が、岩手・宮城内陸地震によって、一瞬のうちに崩壊してしまいます。

時代背景や状況はもちろん異なりますが、開拓と地震からの復興は似ているのではないかと思います。開拓の歴史には、どこか復興へつながるヒントがあるかもしれません。

少しずつですが、紹介していきます。
ちなみに紺色の部分は僕の勝手な補足です。

『宮城県西北部、栗駒山麓。真冬になると、このあたりは最低気温マイナス18度、積雪も多いところで2メートルにもなる厳寒の地である。』
『この地を自らの手で切り開いた人達がいたのだ。なぜ、このような厳しい寒さの地の荒れた土地に入植し、開拓しなければならなかったのだろうか…』


『栗駒山中腹にある小さな分校、栗駒小学校耕英分校。』
僕の母校ですね。


『今日は勤労感謝祭の日である。』
ソーラン節踊っています。
勤労感謝祭は地区の方を招待する行事で、出し物をします。学校に自分の子供・孫がいなくても、地区のほとんどの人が集まります。
ここは「婦人ホーム」という部屋で、小さい体育館のような施設です。


そして、必ず餅をつきます。

宮城県は餅どころと言われるほど、事ある毎に餅を食べる習慣があり、種類も豊富です。例えば「ずんだ餅」は有名ですよね!
奥は雑煮。手前は餅に茹でた沼えびをからめた「えび餅」なんですが、口の中でえびが刺さって、痛かった記憶があります。
餅を食べながら、当時の思い出話に花が咲きます。


『大槻好さん、67歳。耕英開拓者の一人である。』
『えーあの頃はねぇ、ずいぶんと大変だったのっしゃ。開拓の歩みを語る前に、どうしてもやはり昭和15年くらいまで戻って、満州開拓の事言わないと、この開拓の誕生は出てこないのでがす。』
満州とは現在の中国東北部の事で、事実上、日本の傀儡国家とされている「満州国」がありました。
『昭和15年、耕野村の八島考二っあんという村長さんがね…』

次回に続く…

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