2010年01月21日
新幹線停電事故からの生還(前編)

先週、こんなニュースがありました。
3新幹線、3時間止まる 11日午後10時10分ごろ、JRの東京―大宮駅間で停電が発生し東北、上越、長野の3新幹線が全線で一時運転を見合わせた。同10時半ごろに上り線の一部区間を除いて送電が復旧し、12日午前1時10分ごろ全線で運転再開した。JR東日本によると、田端変電所(東京都荒川区)の送電トラブルが原因。この停電で上下14本に最大約3時間の遅れが出て、約4700人に影響した。(共同通信) |
11日は、一関に寄って友達と会い、最終の東京行き東北新幹線で帰ろうとしたと、前の記事でお伝えしました。
通常ならば、約2時間40分も乗っていれば、東京に着きます。
でも、今回は違った…家に着いたのが、夜3時過ぎ…
そう、この停電事故に巻き込まれてしまったからです。
21:05、一ノ関駅を定刻通りに発車した、最終の東京行き「やまびこ70号」は、くりこま高原、古川、仙台…と順調に走行していました。
しかし、郡山駅に到着するも、なかなか発車しないので、おかしいなぁと思っていたら、「東京〜大宮間で停電事故が発生」との車内放送がありました。
20分ほどして再び発車し、次の宇都宮駅でも少々停車。
「上り線は復旧しましたが、列車が詰まっています」というようなアナウンスの後、再び発車。
「やまびこ70号」の東京駅到着は23:44。
通常通りの到着でも、他の路線への乗り換えは、結構ギリギリに近いものがあります。それなのに、30分も遅れてしまったら、乗り換えは厳しい…とか考えていると、何の予告も無くイキナリ停車。
そこは、次の停車駅の大宮ではなく、通過するはずの小山駅でした。
「小山駅に臨時停車します。復旧のメドが立たないので、先を急がれる方は、在来線に乗り換えてください」と。
時間に余裕があれば、復旧するまで、そのまま乗って待ってもイイんですが、明日は仕事だし、今日中に何としても帰らなければなりません。
おそらく、ほとんどの乗客が降りたんじゃないかと思います。もしかしたら、この時点で運転が打ち切られていたのかもしれません。
改札を出る際に、「事故」というハンコが押されました。(上の画像)

新幹線との接続の為に、23:08発の大宮行き宇都宮線最終電車を待たせておいたようです。
車内は新幹線からの乗客で混んでいました。
考える暇も与えられず、新幹線を降りたものだから、小山から大宮までどれくらい時間が掛かるか分からなかったし、とにかく少しでも体力を温存させたかったので、別料金(750円)を支払い、グリーン車に乗車してみました。
23:30、定刻より20分以上遅れて、大宮行きの電車は小山駅を発車しました。
後編へ続く



2010年01月17日
阪神大震災と地震の記録

栗駒山と復旧工事が進む冷沢の崩落現場
今日で阪神大震災の発生から15年を迎えました。
犠牲になった6434人の方々に、心より追悼の意を表します。
岩手・宮城内陸地震が発生した際には、様々なご支援をいただきました。
こういったものの中には、神戸での経験が生かされているのではないかと思います。
先日、帰省した際に耕英地区の仲間から聞きましたが、地震発生2年に向けて「地震の記録誌」作りをしているそうです。
この地震での経験や記録が、もし次に何処かで震災が起こった時に、役立ててもらえるようなものになる事を希望します。



2010年01月15日
一関にて

1月11日は、岩手県一関市に寄ってから、東京に戻ることにしました。
一関市は岩手県最南端にあって、実家のある宮城県栗原市と隣接しています。
中学・高校時代をこの街で過ごしたので、友達も住んでいます。

友達に会おうと、来るのを待つ間、駅周辺をぶらぶらしていると、京浜東北線の電車が停まっているのが見えました。
おそらく新型車輌との入れ替えの関係で、旧型である209系電車が、一ノ関まで遥々運ばれてきたのでしょうか。
でも、こんな北の地で首都圏の電車を見るとは意外でした。

当初は、友達と軽くお茶だけして、帰ろうかと思っていました。
しかし、それぞれ仕事や予定があったのにも関わらず、僕の為にわざわざ集まってくれたので、せっかくだから駅前にある「寧々家」という居酒屋に入る事に。
じゃあギリギリまでと、21:05発の東京行き最終の新幹線「やまびこ70号」に乗ろうと決めたんですが、それが運命をわける事になるとは…つづく



2010年01月11日
実家にて その2
せっかく雪が多く積もってるんで、「かまくら」を作ってみました。
かまくらなんて作るのは、小学校以来でしょうか…
今じゃ、かまくらよりもキャバクラの方を好むオヤジになった僕には、かなりの重労働です(笑)
先に栗駒に来ていた、毎度このブログでもお馴染みの甥っ子に、かまくらに入ってもらいました。
かまくら初体験の甥っ子の喜ぶ顔を見れば、僕の苦労も報われる!と思ったのも束の間、渋々、中に入ってすぐ出てきやがりました…



2010年01月10日
2010年01月09日
久々の仙台
やっと正月休みが取れまして、実家に向かう途中に仙台で寄り道です。
まず、僕のパソコン師匠でもある中学以来の友人と会い、ラーメン屋をはしご(笑)こちらはまた後で。
そして、10年振りくらいに地下鉄に乗り、泉区の知人宅を訪問しました。



2010年01月03日
遅ればせながら…
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、このブログを見てくださる皆様をはじめ、多く皆様に支えていただきながら、活動をする事ができました。
本当にありがとうございました。
おかげさまで、被災地では復旧・復興が進んでいます。
普段の生活に戻るにつれて、どうしても話題が少なくなってしまうと思いますが、今後も温かい目で被災地を見守っていただければ、幸いです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、話は変わりますが、僕がやっている仕事というのは、11月下旬から12月いっぱいが一年でもっとも忙しくて、元旦も出勤だったりします。
その為、この仕事をしてからというもの、実家に帰って年越しやお正月気分を味合う事なんてありません。
今年になって初めて発行された新聞、1日付けの毎日新聞(東京版?)の一面に、ある家族の年越し風景の写真が、結構デカデカと掲載されていました。

実は、ウチの家族でした(笑)
その新聞を出勤途中のコンビニで買って、読んだ訳ですが、家族団らんの中に僕がいないのが悲しいというよりも、この記事を誰か知っている人に見られたら恥ずかしいなぁ〜と思った元旦の朝でした…


昨年は、このブログを見てくださる皆様をはじめ、多く皆様に支えていただきながら、活動をする事ができました。
本当にありがとうございました。
おかげさまで、被災地では復旧・復興が進んでいます。
普段の生活に戻るにつれて、どうしても話題が少なくなってしまうと思いますが、今後も温かい目で被災地を見守っていただければ、幸いです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、話は変わりますが、僕がやっている仕事というのは、11月下旬から12月いっぱいが一年でもっとも忙しくて、元旦も出勤だったりします。
その為、この仕事をしてからというもの、実家に帰って年越しやお正月気分を味合う事なんてありません。
今年になって初めて発行された新聞、1日付けの毎日新聞(東京版?)の一面に、ある家族の年越し風景の写真が、結構デカデカと掲載されていました。

実は、ウチの家族でした(笑)
その新聞を出勤途中のコンビニで買って、読んだ訳ですが、家族団らんの中に僕がいないのが悲しいというよりも、この記事を誰か知っている人に見られたら恥ずかしいなぁ〜と思った元旦の朝でした…


